なぜセンター街は汚いか

渋谷のセンター街が汚くて臭いのは、
あそこが誰の街でもないからだろう。


渋谷を日々闊歩しているのは、
千葉人であり、九州人であり、
中国人であり、ネパール人であり、
フランス人だろう。
渋谷出身の人間は、速水もこみちだけだ。

僕にも、
HUBの馬鹿でかいジントニックで酔っ払い、
食べたばかりのフィッシュ&チップスを吐く、
最低最悪の、道玄坂48だった時代がある。
(もう決してしません、渋谷区の皆様すみません)



僕は多くの人間にとって、
センター街みたいなものだろう。

僕という街を、路地を、歴史を、
知ってくれている人間はせいぜい数十人で、
それ以外の人間は、
おもむろに山手線や東横線で乗り付けては、
僕の上で小便をし、熱い抱擁を交わし、時に殴り合い、
ハロウィンには酒を飲んで馬鹿騒ぎをするだろう。

大都市に、職・資本・人が集中する構造上、
日々他人に囲まれる生活はどこの国でも避けられない。

その中で僕が取るべき行動は、
降りかかる小便にいちいちイラつくことでも、
僕の上を歩く全員に愛想を振りまくことでもなく、
雑踏の中で、渋谷ホームの人間、僕の味方を見極めて、
手を掴み、軽やかに、でも確実に迫っていくことだろう。



東京、シドニー、ストックホルム、
どこの人間とも今この瞬間、話をする事ができる。
これは例えば、昭和には無かったひみつ道具だ。

高校や大学からの気のおけない友人、
新人研修で仲良くなった音楽好きの同僚、
パーティで出会った風変わりなフランス人、
Twitterでいつも良くしてくれる人。
たまに、こういう人間が現れる。
テクノロジーを味方につけながら、
こういう人達と、フワッと気負いなく、
でもしっかりと会話を続ける。

あと15日で死ぬワニや、
ギャルの尻トレ動画に夢中で、
大切な人間へのLINEの返信を忘れていないか?
仕事帰り、コンビニの駐車場で、
5分だけでも、電話をすることは出来ないか?



スマホを左右にスワイプするだけで、
新しい人間に出会える時代。良いことだと思う。

ただその分、
自分の上を歩く赤の他人が増える事になる。

その人混みに、渋谷ホームの人間を見つけた時は、
勇気を持って、まず自分が心を開くこと。
そして同じ土台を共有する人間と分かった途端、
意識的に強く捕まえ、手綱を括り付けて離さないこと。
それがどんどん太くなり、人生の命綱になるから。
それは大抵の場合、互いにとって。
そういう綱を増やしながら生きること。

来るもの拒まず、去るもの追わず。でも、
去るものは僕らの日常の努力で減らせるかもしれない。
ワンクリックで、メッセージや電話を出来るから。



繋がりと孤独が、奇妙な相関を持って増えている。
貴重なソウルメイトは、必死で掴んで離さない。
そうすることで、小さいけれど、
もう少し血の通った、綺麗で温かい渋谷、
自分の人生にすることが出来るかもしれない。
スペイン坂にある喫茶店が好きでしたが、
名前を忘れました。

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